会員だより
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CIP 日本のインテリアの過去30年 投稿/雨宮史郎

CIP 日本のインテリアの過去30年

CIP正会員 雨宮史郎

日本だけで我々のインテリア世界を見るとよく見えてこないのだが、外国と比べてこれを見たり考えたりすると、見えてくるものがある。日本の常識や普通は世界の常識や普通ではないことがある。

45年前にイタリアに4年間留学したのだが、渡航する前にはインテリア資材を開発し販売する会社に勤めていた。室長という立場だったが、これからのインテリアの世界はどうなるだろうと考えなくてはならないのが、開発室の室長の役目である。

主にカーテンカーペットを企画開発してブランドを付け、その一部はサンゲツに布クロスとして納めていた。深山という商品名で、サンゲツの商品は記号名だったが、この商品だけはぼくのいたロイヤルでの名称をそのまま使っても通じていた。つまり愛称のような物である。今から思うと壁土の色に良く合う色目だったと思う。

1.壁クロスの白はダメ

さて、その時代に室長としての雨宮は、なぜ壁クロスは白い物はだめなのだろうと考えていた。その頃の壁は、木板そのものか、壁土もしくは繊維壁と言って地味な繊維壁の塗装、そして紙クロスや布クロスが主流だった。クロスはロイヤルの扱い商品ではないが、カーテンやカーペットの横にある物なので、そこを考えることは重要であった。

そんな会社でもクロスを扱い始めることが議題に上がった。営業会議で発言したが、白い壁クロスは汚れが気になるからだめだと言われた。全く話に乗ってもらえなかった。白はダメというのが常識だと言われた。もうすでにビニールクロスが生産販売されている時代だったのだが、白はだめだと言う。ぼくは、寺院の白漆喰の美しさが日本の一つの美だと考えての提案だったが、取り合ってもらえなかった。

他にもカーテンを縁側の周りにも吊るという行為にもぼくは大変疑問を持っていた。社長に話したら、販売する会社の企画する者が言う言葉ではない、と言われたのも退社を決意するものになった。

2.イタリアの壁は白かった

イタリアに行く理由は、カーテンカーペットの生まれた世界をしっかり見たいというものだった。子どもを連れた家族3人の留学だった。

イタリアの家は、壁が白かった。あの日本の寺院の白漆喰と同じ漆喰である。この白漆喰は、組積作りの建物では日本に比べ窓が小さいが、その小さな窓からの光をまんべんなく部屋の奥まで送るのに適していた。もちろん汚れやすい。でも、イタリア人は10年に一度はその壁の塗り替えを行う。業者に頼むこともあれば自分たちで塗り替えをすることもある。面倒だが、そこにはいい加減と思われていたイタリア人の姿はない。家のメンテナンスにイタリア人は、怠け者では全くなかった。

そして我々家族は4年を経て帰国した。久しぶりの日本は、これがぼくの母国なんだなと実感するものだった。全ての看板や雑誌や新聞などの文字がそのまま頭に入ってくる。うれしかった。

食べ物をとてもおいしいし、懐かしかった。そして、しばらくして気がついた。

日本の壁が、白くなっていたことだ。当たり前の様に壁クロスの主要色になっていたことだ。渡航前のあの拒否されたことなど全く知らぬげに、サンゲツなどのクロスの見本帳は白色のオンパレードだった。常識は変わることを知った。裏切られた感とは別に日本が汚れの怖さよりも、好みを選んだことになぜかほっとした。

3.婚礼3点セット

婚礼3点セットというのを知っているだろうか?30年以上前には、結婚するなら婚礼3点セットを買って嫁がなくてはいけないことになっていた。これが日本のお嫁さんの嫁ぐときの常識だったのである。特に名古屋は有名で、名古屋に嫁ぐことが怖いとも言われた。だから、大須の家具屋さんは隆盛を誇っていたのである。そんな頃、システムファニチャーを看板にして家具屋さんに提案し続けていた会社に入ったら、不思議な状況に出会った。服部家具、安井家具という名古屋の家具業界で1・2を争う販売店の会社に話をすると、「婚礼3点セットはいつか売れなくなるでしょうね。」と言うのだ。松坂屋などデパートでも大きな売り場を持っていた家具会社である。分かっていながら、婚礼3点セットを売っていたことが分かった。

しかし、それで売り上げの殆どを作っていた家具屋さんでは、それを止めることができなかったのである。長続きしないことも知っていた。日本の伝統の婚礼常識ですよ、と言っていたのだが、実は首脳は、明治時代に作られた比較的新しい習わしだと知っていたのである。

「座して死を待つ」と言う言葉がある。分かっていても打つ手がない。黙って死を待つ心境というわけだ。そして、たくさんの家具店が今から35年前から25年前までの10年間でバタバタと廃業していったのである。では、なぜこのようなことが起きたのであろうか。

4.西欧の新婚生活のインテリア

西欧では、結婚時に全部の家具調度品を揃えるわけではない。イタリアでイタリアの友人たちの結婚に幾つか立ち会った。その中で、ブレーシャという町の友人女性が結婚時に招待してくれたことがあった。式の前の晩から泊めてもらい、その晩、彼らは結婚時の家具調度について1階倉庫にある物を一つ一つ見せながら話してくれた。

それらの殆どは、両親たちや親戚が残してくれた、まだ使えるが古いタイプの家具調度品であった。そして、今回買ったのはこのベッドなのと見せてくれたが、新規購入のそれらはわずかであった。質素なんだなとそのとき感じたが、次の日の結婚式と披露宴、それは大変豪華なものだった。ぼくなどお料理のメニューの半分も食べることができなかった。すごい数のメニューだったのである。

後で聞いたら、嫁ぎ先の彼の家は町で一番の貴金属店で、お金持ちの家だった。そんな二人の結婚のスタートは、実に堅実な新家庭作りだったのである。彼女は、インテリアの学校に通っていた女の子である。きらびやかな物を揃えそうなのに、実ににこやかに堅実が当たり前の説明がとても印象的であった。

5.インテリアは作っていくもの

ぼくの通った学校の女友達の家に1週間泊めてもらったことがある。ぼくはその頃家族をペルージャという町に置いて、ミラノの学校に入学したてだった。しかし、泊まる所がないので、ユースホステルを泊まり歩いていた。それを知った彼女が家族に話して泊めてくれたのである。

彼女は母親と同じベッド、そしてぼくは父親と一緒に寝た。大変なことである。そこまでしてぼくを泊めてくれたのは、彼女と父親は空手を習っていたからである。その空手の恩師は日本人、突然日本に帰ってしまい、そのお礼ができないので、なんとか連絡してお礼がしたい。しかし連絡ができない。そんな頃にぼくのことを知ったと言うことで、泊める決心をしたらしい。 

話はそんな美文の紹介ではなく、その家のインテリアの話である。

6.イタリア人の家とは

イタリアに連れて言って欲しいという積水ハイムからの依頼でイタリアを案内したことがあった。その中でイタリア人の一般家庭を覗いてみたいと言う。それで、ぼくは先に紹介した泊めてくれた友人の家に案内した。

まずは結婚した彼女の家に10人ほどの人を連れて行った。友人は快く入れてくれて、キッチンも寝室も見せてくれたのだが、「娘の部屋も見たい?」と言う。びっくりしたが、うんと頷いたら、「お客さんがあなたの部屋も見たいって」と声をかけたら、中学生の女の子が部屋から出てきて、どうぞ、と言う。

日本ではあり得ない展開にみんなびっくり。でも、見せてもらえるならと何人かが入っていった。そして、出てきた彼らから、「お母さんは、娘さんにどんな教育をしているのか?」と質問してきた。あまりに部屋が美しいからだというのだ。綺麗に片付けられているだけでなく、開いてベッドに置かれている本が演出されている様に美しいからだという。それで友人にそう言っていると聞いてみたのだが、何も特別に教えてはいないと答える。そう彼らに返答したが、日本人の彼らにはそのまま納得してもらえなかったようだ。

7.ル・コルビジェのシェーズロング

「私の両親の家も見たい?」と友人が聞いて、お願いしますと答えたら、すぐに電話してくれてOKをもらい、歩いてすぐの彼女の両親の家にみんなで歩いて行った。それは先に話した、ぼくを泊めてくれた家である。

両親の家は友人の家より大きい。友人と同様、両親は全ての部屋を見せてくれた。

「あのさっき電話してもらって、突然来たんですよね。」といぶかしげにハイムの人が言う。どうやら、あまりに片づいているし、綺麗になっているから、これは普通では言われてから綺麗にしたインテリアのはずだが。と言うことなのだろう。

「済みません、質問したいのですが、あのテーブルの上のトランプの置かれているのは、いつもあのように置くようにしているのですか?」と指さす。それでお母さんに聞いてみた。「電話が掛かってくる前に二人でポーカーをしていたのよ」と言う。そう質問した人に通訳すると、あまりに綺麗に置かれているので、びっくりしたようだ。 そして次の質問は、窓際にある長椅子に対してだった。あの椅子を分かって購入したのか、と言う質問。聞いたら、「ええ、ル・コルビジュエの椅子でしょう。主人が背中が良くないので、その背中用に何本か木の板を入れて作り直したの」事もなげに話す。それを通訳したら、信じられないとびっくり。

※現在このシェーズロングは133万円だそうである。

すごいお金持ちですね。と言う。それで、いや、お父さんはトラックの運転手、お母さんは看護婦さんだと聞いていますよ、と言ったら、とても信じられないという顔をした。

以前友人の両親から聞いたことを皆さんにお話しした。1年に何度もインテリアショップ巡りをしてその年に買う物を一つ決めるのだそうだ。そうやって50年間買い集めた物がここにある物なの。と言う話である。

8.イタリア人のインテリアとは

イタリアの通りの辻にある畳2畳分もないキオスクに、インテリアや建築の雑誌がたくさん置いてあると言ったらびっくりするだろうか。日本のコンビニにモダンリビングや新建築、商店建築が置かれているようなものである。つまり、日本人に比べてイタリア人は、建築やインテリアに関する関心がこれは高いと言わざるを得ない。このことはイタリアのあちこちで納得することであった。

まず、我々の住んでいたマンションでの話。同じ階で親しくなった家族がいて、そこにうちの息子と同じ幼稚園に通っている女の子がいた。今で言うママ友である。ぼくがデザインの学校のインテリア科に通っていることを知り、家を見せてくれた。インテリアをいろいろ工夫するのが好きだという。お母さんはフランス語の先生、お父さんはそばの大きな会社にお勤めだった。

彼らの土日の過ごし方の一つに、家族そろってのインテリアショップ巡りがあるという。珍しいなとそのとき思ったのだが、どうやらそういう人たちが多いことが分かってきた。町中にインテリアショップが、実に多いのだ。そしてそのどれもが大きく立派である。小さな町にも幾つかあって、ぼくも良くそれらの店を見に行った。250万人の住む名古屋にはそれほどの店はわずか数軒である。10万人に満たない町にもイタリアでは何軒もの立派なインテリアショップがあるのだ。

9.日本の住宅から客の目がなくなった。

名古屋にもつい最近まで大きなインテリアショップがあった。でも次々に閉店してしまい、今は数えるくらいである。なぜそうなってしまったのか?

では、まず昔の日本はどうだったかを考えてみたい。我々が大学生の頃だから50年以上前の時代、ぼくは間取り図をゲームのように楽しんで描いていた。そのときの間取り図には客間とか応接間とかがあった。そして、どの家にも一つは和室があり、そこには床の間のある家もあった。お座敷と呼ばれたが、そこはいつも使う部屋ではなく、客を迎えるハレの空間だった。

でもその頃、同時に言われ始めたのが家族室の重要性であった。お茶の間や居間と呼ばれた。小さな部屋に大家族がぎゅうぎゅうに詰めて、こたつなどに入っていた部屋である。だからか、客を迎えるより、家族が寛げるリビングルームが家の中心になるべきと言う論調が声高くなった頃である。

その客を迎えるところとして客間や応接間という洋室も用意されていた。しかしその部屋もお座敷と同様にその後に少しずつ消えていった。つまり、家はそこに住む家族のためにあるのだと言うことで、家に人を呼ぶことさえ少なくなっていった。それが今の日本人の多くの家であろう。

10.作品は綺麗だが我が家には合わない

ぼくは照明器具を作っている。卒業生と行った展覧会は毎年3~4回ずつ30年ほど行っている。最初は今考えれば稚拙だったかもと思う作品だったが、今はかなり評価される状況になってきたと思う。

展覧会に来た方たちは異口同音に「始めてこの様な照明を見た。とてもきれい!でも我々の家のような汚い家にはとても合いそうもない。」と言う。合わないと言いながら、展覧会で見るのが楽しみといって毎年訪れる方たちが増えている。不思議である。

きれいだったら、使ってもらえたらと思うのだが、「家が汚いから合わない。」と言う。そこで思ったことは、確かに家は人に見せられるほどではないにしても汚いわけではない。合わないのだろうと思う。つまり作品は部屋の中で浮いてしまう、と言うことだろう。

では作品はきれいなのに、家に飾れないというのは、家を綺麗にしようとあまり考えてこなかったからであろうとも思う。家には家族しかいない。人の目を通して我が家を見ると言うことは殆どない。だったら、片付けることは大変だから、綺麗は明日伸ばしにしよう、となっているのだろう。

11.キッチンはカオス

大学の同僚の女性教員が学生たちに、キッチンを計画する授業を行うにあたり、自分たちの家のキッチンを写真に撮ってきてと頼んだことがある。前提をまず認識するためと軽く考えていたのだろうが、これは学生たちの家には大変な事件だったようだ。

そのまま母親に話した学生は、親の反発にまずびっくりした。しかし、教員の言った依頼は授業課題であり、これを無視することはできない。なんとか説得すると、それから1大掃除が開始された。もしくは、綺麗にしたところだけを写真に撮って撮り終えたら、次の場所に鍋などの物を前の所に移動してすっきりした様子を撮る、を繰り返して撮り終える。

ところが、母親に言わずにそのまま撮って持ってきた学生も多かったようだ。それはすごい写真だとその教員は言った。カオスそのものだったから。そして教員自身も言った。「私の家も殆ど同じだから、非難することはできない。これでは日本のインテリアは今後どうしたらいいのでしょうね。」難題である。

考えた後に二人の出した答えは、「ホームパーティーを始めていくことだろう。」となった。日本の家に重要なのは、人の目だ。周りを意識する日本人は、人を家に入れることで家の中を美しくすることを始めるのではないかと。

でもぼくはその後で、周りを意識する日本人だから、人を入れなくなってしまったのかもしれない、とも思った。このせめぎ合いはどうなるのだろうと考え込んでしまった。

12.日本人の常識とは

ぼくの研究の中に、冷蔵庫の研究というのがある。冷蔵庫の大きさや機能の研究ではない。冷蔵庫の扉の開閉方向の研究である。どちらでもいいじゃん、と思うかもしれないがこれで、電気代が大きく異なるのである。そして、作業効率も大きく変わる。

これを読む人は冷蔵庫に左開きと右開きがあることを意識したことがあるだろうか?

実は、ぼくの研究していた20年以上前には、電気店の冷蔵庫は右開きの冷蔵庫しかなかった。今は両開きやどちらも開く冷蔵庫もある。それらの冷蔵庫については別に触れるとして、左右の冷蔵庫扉の話をしたい。

ぼくは、マンションに住んでいる。その当時は同じマンションの別の部屋に住んでいた。キッチンは、一番左にコンロ、そしてその右にシンクがあり調理台があり、そして一番右に冷蔵庫があった。だからその冷蔵庫は右手で開き蝶番が右にある右開きの冷蔵庫であった。電気店の冷蔵庫売り場でこれが良いとそのまま同じ物を届けてもらった物である。

ところが、マンションの中でより広い部屋に引っ越しを行った。それで冷蔵庫をそのまま運んだが、使いづらいのだ。キッチンのコンロが一番左、そしてその左にシンク、調理台、そして冷蔵庫だが、これまで使っていた冷蔵庫が使いづらい。シンクから左の冷蔵庫の取っ手は、なんと一番左にあるので、シンクから遠くなってしまった!そして右手で開けると、たくさん開けなくてはならない。前の部屋ではちょっと開ければ中の物を取り出せたが、今度はたくさん開けなくてはならい。それで分かった。キッチンの並びが逆になったら、冷蔵庫は逆の扉でなくてはいけないのだと。幸い、冷蔵庫をそろそろ替え時だと女房が言うので、今度は左開きの冷蔵庫を購入した。しかし、電気店には左開きは1台もなかったが、頼んで左を送ってもらえるようした。売り場には右開きしかないが左開きも配送センターの倉庫にちゃんとあるし、値段も同じ。前のはそのまま引き取ってもらった。

つまり、マンションなど集合住宅では、水回りが合い向き合いで構成されているので、キッチンの位置は隣の部屋では逆になっているのである。と言うことで、マンションでは右と左の扉の冷蔵庫の需要は同数であるはずだ。

13.普通と言うこと

ところで、この話をまもなく結婚する卒業生の家具選びを手伝ったときに話したら、分かりました、気をつけますとのこと。しかし、半年ほどした頃東京にお嫁に行った彼女から手紙をもらった。その中で次のような文面を見つけびっくりした。「・・・。先生から聞いていた冷蔵庫ですが、左開きが良いキッチンでしたが、右開きを買いました。だって、彼は転勤族で次には右開きが良くなるかもしれませんし、右開きが普通なんでしょう。」読んで絶句した。そんな判断てあるんだろうか・・・。普通ってなんだろう? 

全く理屈の世界の話ではない。理屈の述べ合いで論争はできるが、普通という感覚的な相手を向こうに回して戦うことはできないと知った。皆さんはどう思うだろうか?

14.若い人に伝えたいこと

インテリア分野とはデザイン世界だけではないのだろうが、構造など理系の考え方が重要視される分野とは大きく異なる。嗜好性が強く、感覚や、時代性などが常に顔を出してくる。つまり、理屈のみで語れる分野ではないと言うことだ。少なくとも、日本国内に於いてはその傾向が強い。日本人の持つ素晴らしさは誇って良いと思うが、学ぶ時、仕事する場面でも常に意識して当たることが大切だと思う。

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